『究極の魂の旅』⑨(最終回)☆自分のセンターに専念する

Nov 27, 2022 1:35:00 PM | アセンション学 『究極の魂の旅』⑨(最終回)☆自分のセンターに専念する

...ECETIでは、常に癒しや目覚めが起こっていたのですが、どういう訳か広がりを欠き、、、私は聖霊(スピリット)と自分自身に、「未来を共に創るリーダーたちは、どこにいるんだ」と問い続けていました。

※今回もECETI代表、ジェームズ・ギリランドさんの著書より一部抜粋をお届けします。

☆自分のセンターに専念する

 

私は再び、ECETIに自分のすべてのエネルギーを注ぐことに決めました。以前、基本的な対人関係について学ぶことが私の目的だといわれたにもかかわらず、私はもう一度、作業に没頭する準備ができていました。

 

あるヨギは私に、人間関係の道は習得するのが最も難しいといいました。彼は正しかったのです。私はこれまで、動物、子供そしてマスターたちとは仲良く付き合ってきましたが、先入観、観念、欲望、欠乏、傷、そしてトラウマを持つ大人は、付き合うのが最も難しい相手でした。子供と動物たちのためのリトリートセンターを建てることはできないのだろうか?その場合の問題は、子供たちについてくる親と呼ばれる存在で、子供たちに接するには何事もまず親の承諾を得なくてはなりません。仮に大人の信念体系から外れたことをすれば、母性本能が働き始めるので、身を守ったほうがいいでしょう。

 

それでは、私たちが現状と矛盾する教えを持ち込むには、どうしたら良いでしょうか?原理主義者たちが私たちを嫌うのは、礼拝する場所を自分の内側に戻し、大衆をコントロールし続けるために使ってきた恐れ、罪、そして無価値の感覚という道具を奪ってしまうからです。

現状に幻滅しているクリスチャンが私たちを嫌うのは、人を奴隷のように扱うカトリックと共通点があるからで、たとえ私たちは個人として源ソースとつながる力を与えられているにしても、かかわり合いを一切持ちたくないのです。子供の頃に教えられた間違ったイメージのせいで、イエスの名前を聞くと怖くなるのです。

 

物欲の強い人たちは、次に手に入れるおもちゃや、うわべだけを気にします。伐採者たちが私たちとかかわりを持ちたくないのは、私たちが自然を保護するからです。環境保護主義者たちが私たちを仲間と思えないのは、私たちがデモに参加せず、自分たちの体を木に縛り付けたりしないからです。

 

人里を離れていると、関心をもっているのも難しいものでした。日に何度も「これに何の意味があるのだ?」と自問しました。しかし私は心の底で、より高い目的が示され、その振動数を維持しなくてはいけないことはわかっていました。そこは最高の波動のある特別な場所で、その土地を保護しなくてはなりません。敏感な人たちは、この土地に足を踏み入れた途端に、そのエネルギーを感じました。

 

ECETIでは、常に癒しや目覚めが起こっていたのですが、どういう訳か広がりを欠き、収入は横ばいでした。私は聖霊(スピリット)と自分自身に、「未来を共に創るリーダーたちは、どこにいるんだ」と問い続けていました。(引用おわり)

 

 

ジェームズギリランド氏著『究極の魂の旅』からの引用は今回が最後となります。JCETIの公式サイトやAmazon、書店などでも書籍を購入いただけますので、続きを読まれたい方は購入してくださいね。

 

ECETI内プレアディアン・サークル

 

 

ECETI(日本語サイト) https://eceti.jceti.org/eceti-2/

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Written By: Greg